4年のブランクなんて屁

次の日もお店へ顔を出した、

特になにも用はないけど、買い物ついでによった、と嘘をつき。

 

というのも

本人食道癌だとは知っているが、

ステージ4だとかを知らない。

ましてこんな文明の力がはびこってる2018年にガラケーで、

まだラジオを聴いている昔人間。

情報収集にうとい。

良し悪しだが、今回に関しては...よかったのかもしれない。

 

なのに、4年もあってなかったのが毎日の様に顔を出したら、

さすがにどんな鈍感な人でも

相当やばいのか!?と気づきかねない。

ので、あらゆる理由をつけてそれから会いに行ける時はいった。

 

なぜステージ4までほっておいたのか!

昔人間は人に言われて病院なんて行ってくれるはずもなく、

ましてや自営業なので強制的な検診などもない。

更には、食道癌に関しては自覚症状があまりなく、

食事が喉を通りにくくなる、と感じ違和感を覚えてからいったのでは

進行、転移疑われる。

自覚症状が出てからもほうっておいた父さんは、

食道にぎっしり12センチの癌を育て上げ、

更には、胃と左肩リンパへの転移があり、

胃に関しては問題ないがリンパに関してはやはりよくない状態。

 

主治医から直接話を聞きたくて、

父さんには内緒で予約を取り、ぎっしり質問要項を作り、

しっかり、ほんとしっかり聞いてきた。

レントゲンも見てきた。

母さんが一人でこれを聞いたのかと思うと苦しくなった。

 

まず手術という選択肢は消え、

放射線治療抗がん剤治療を10月から行います、が、

血管破裂の恐れがあります、と。

大動脈左気管支に浸潤。

大動脈にひっついてる為癌が成長すると血管をつきやぶってしまう可能性が

考えられる点や

放射線治療により食道に穴が空いてしまう可能性があり、その場合は

ステンレスパイプを入れる手術を行えるか、お手上げになるか。

などについて詳しく説明をして頂き、

結果

早くて2、3ヶ月。長くて1年だと言うこと。

しかし、消化器系で治ることがあるのも食道癌だと言うことも。

それに関しても調べ済なので、理解できた。

 

お礼を言い、帰宅中、悲しいやそういう悲観的な感情は一切なく、

なぜか、治る。治してやる!と行ったやる気しかなかった。

9月25日のことである

父が食道癌ステージ4

と、診断され弟から連絡を受けたのは

9月後半のこと。

 

それまで訳あって近くに住んでいながら4年疎遠

 

癌と聞いてすぐ会いに行こう!と言う気は

すぐに起きなかった。

 

というのも自分自身、5年前に子宮頚がん0期と診断され手術入院を経験。やっと5年経ち、診察も

年1でよくなりほっとしていたところ。

癌というものを経験しているからか、

父さんが癌、と聞いても、

まぁ~癌にもなるわな!が最初の感情。

 

弟から連絡もらって1週間後、

おとーちゃん相当やばいらしいで。

と言われやっと、父さんがやっているお店へ!!

 

それまでに簡単に食道癌を調べ、

予備知識を頭に入れ、会ったときの衝撃に備えて

行った、いざ。

 

思った以上にがりがりに痩せていた。

自分と違い、昔から細身ではあったが、

年も手伝って文字通りの骨と皮だけに

服を着てエプロンをし、風が吹けばよろけそう

なくらいで、

衝撃に備えていたつもりが一気に何ともいえん

感情がわーーーーー!っと。

父さんのお店に入るなり

おっ!!!!

か弱い声が聞こえたのと同時に

トイレ!!!

と言いトイレに駆け込んで嗚咽を必死に

トイレを流す音でかきけし、しばらくして

出てきた。

 

父)元気してたか?

私)うん、えらい痩せたなぁ、弟から聞いて、来た。

父)そうか...

 

と。会話しながらも救われたのが父さんは仕込みをしながらなのでこっちを見ない、

よかった...涙目なのばれてないかな。

 

昔から親の痩せた、縮んだ、が苦手過ぎる。

 

大した話もせずほなまた!と帰宅。

帰り道中日傘をさしててよかった、涙がとまらねぇ、

玄関でもひとつ泣き崩れる。

 

彼に、会ってきたよ、と報告。

 

彼が帰宅して、お店に食べにいこうと相談、

快く承諾いただき、歩いてお店へ。

もう泣かなかった!

 

けど父さんの作る料理の味は落ちているのは確かでした。

これから毎日顔を見に行こうと決めた。